小学生の頃、子供同士での夜間外出がまだできなかった頃、紀伊・出雲2・3号廃止のニュースが流れた。
当時はブルートレインブーム。
普段は地元の踏切でブルートレインを見ていたが、夜間及び早朝を走行する紀伊・出雲3号はなかなか見ることができなかった。
我々の仲ではプチ幻のブルトレだった。
昭和59年のとある日のラストラン。どうしても見に行きたいが、東京発は21時。普段は寝る時間である。
友人と計画を練り、お互いの両親を説得し、友人の父が同行するということで、計画は実行された。
カメラは父の一眼レフ、PENTAX SP。ストロボもなければ、三脚もない。
幸いレンズは標準レンズで50mmf1.8、明るいレンズだ。
重いカメラを手ぶれを起こさないようにしっかり構え、シャッターを繰り返し切る。

この写真は、機回しでPFとスハネフ14が並んだ瞬間、周りのファンが撮影したストロボの光と、自分のシャッターが偶然同調し、見事に撮影できた貴重な一瞬の写真だ。
この日でラストランだったが、この日を境にもっと好きな列車となった、幼い時の一コマである。
お、紀伊ですね。自分も廃止間際(当日だったかな?)に横浜駅で撮ったのを思い出します。
あのときもものすごい人出だったなあ。
紀伊は自分にとっても地味な印象があります。ヘッドマークもついに掲げられなかったし…
けれども「紀伊勝浦」、この行先に南国にイメージと共に心ときめかせていましたね。
現在の和歌山県にはもう少し頑張って欲しいところですが。
紀伊勝浦・・・私も同じく南国イメージを勝手に想像していました。
宮原の58が牽引する姿を見てみたかったです。
小学生の頃にはPFに変わってしまっていたので、もっと早くから鉄やっとけば良かったと後悔してしまいます。
西村京太郎の「寝台特急「紀伊」殺人行」も読んでしまったりしました・・・。