2008年4月アーカイブ

「おおさか東線」を走破したあと、タクシーを捕まえて城東貨物線淀川橋梁へ向かった。

目的はもちろんDD51牽引の貨物列車である。

改正前の定刻から大きくは外れないだろうと、余裕で間に合ったつもりであったが、到着してしばらくするとすぐに赤い機関車がこちらに向かってきたので慌ててカメラを向けて撮影した。

それにしてもこの赤川仮橋という木造の橋、なんとも情緒のあるロケーションである。
自転車のおばちゃんや散歩の人々がひっきりなしに線路脇を通行している。
それを横目に轟音をたてながらDD51がコンテナ列車を従えてやってくるのである。

二本目は旧定刻を過ぎても待てどくらせど現れない。のんびり待つことにした。
忘れた頃にまた轟音をたてながら、また原色のDD51がやってきた。
今日は来る列車が全て原色だった。我々は運がよい。

おもしろい場所なので、無くなる前にまた機会を作って訪れたい場所である。

銀河を見送り、その後の予定が明確でなかったが、ダイヤ改正で新たに開通したという「おおさか東線」を乗りに行くことにした。

大阪の土地勘がない我々は環状線の路線図などを睨みながらこれから行く場所を確認した。

見慣れぬ221系に乗り、久宝寺駅で下車して開業記念で売られていた記念入場券セットを購入する。最近では珍しい硬券入場券が台紙に挟まっているものである。

 

この久宝寺駅、かつての竜華機関区があった場所である。
国鉄末期当時はEF58やEF15などが休んでいた場所であり、実現しなかったが訪れたい場所でもあった。
EF58-61が和歌山国体でのお召し列車運転時にが竜華区に貸し出され、「竜」の区名札をさしてこの場所にいたこともあったのだろうと想像する。

目的である「おおさか東線」を走るグリーンの201系に乗り込む。

関東での中央線の201系はE233系の増備で最近見かけることがかなり少ない状況もあり、バンバンやってくる201系を見ていると希少さの感覚が鈍る。

列車は高架線を数十分走り、あっという間に放出駅へ到着。短い旅は終わってしまった。

新大阪を出発し、最後の車内放送が流れた。

身支度を整え、車窓の風景を楽しむ。

そうしている間に列車は大阪駅のプラットホームへ滑り込んでいく。

東京駅程ではないが、最後の別れを惜しむファンに列車は囲まれた。

私もすかさずカメラを取り出し、少年達に混じり撮影に夢中になる。

乗客を降ろした列車は、まもなくファンに見守られながら回送列車として去っていた。

我々はプラットホームでしばらく呆然とし、銀河の余韻を楽しんだ。

 

青春と共に駆け抜けた銀河号もまた過去の物となってしまった。

ありがとう、銀河

最後の朝。

A寝台上段の車窓からは夜明けの風景が流れていく。

車内放送のオルゴールが鳴り、車掌さんからの案内が放送される。

続いて銀河号の生い立ちと最後の挨拶、非常に感情がこもっており、最後だということを再認識した。

寝台にゴロッとなり、列車に揺られながら到着までのひとときを楽しんだ。

盛大な見送りを受けて東京駅を出発し、しばらく経つと車掌さんが検札にやってきた。

A寝台・寝台急行券と乗車券を手渡し、切符に印を押してもらうと同時にJR西日本・大阪車掌区特製の記念乗車証が配られた。

手製の台紙に愛称サインの図柄スタンプが押された、惜別の思いがこもった特別なカード。

一生忘れることのない記念品となり、思い出になるだろう。

銀河ラストランでは、友人のおかげでA寝台に乗ることができた。

今までの鉄道趣味生活の中で、実は今まで一度も寝台列車に乗ったことがなかった。

初めて乗った寝台列車。 それが記念すべきラストランの銀河、それも開放型プルマン式A寝台。

乗車前に方向幕等々いろいろ撮影したかったのだが、東京駅ではごった返していてとても落ち着いて撮影できる状態ではなかった。

途中駅停車時に撮影しようと思うが、どこも短時間停車の為、なかなか思うよういかない。

そんな中、米原で貨物列車通過待ち合わせでしばらく停まるというのでホームへ降り立ち、東京では撮影できなかった方向幕や機関車などを撮影することができた。

もうすぐであれから一ヶ月が経とうとしているが、もうずっと昔のことのように思える。

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